予讃線の海線

2025年8月1日に予算線の海線(下図の青色で示した路線)を往復してきた。これで、JR四国の全路線を完乗したことになる。とは言っても実は1970年に乗った記憶があるので、正確な記録を作るための再乗車ということになる。

 

まず、海線と陸線(山回りルート)の説明から入ろう。鉄道の黎明期には各地に私鉄が敷かれていて、それらが繋がり、最終的に国有化して国鉄になった歴史がある。そして、四国の西北に流れる肱川に沿って伊予大州(当時は大州)から、河口の伊予長浜まで「愛媛鉄道」が1918年(大正七年)に開通した。そして、同じ時期に国鉄松山駅から海岸に沿って伊予長浜駅に向かって鉄道の延伸工事を進めていた。そして、1933年(昭和八年)に「愛媛鉄道」は国有化される。ここで、現在の予讃線の伊予大州駅と松山駅の間の海線が完成したのである。

予讃線・海線(青色)と山線(茶色)

当時は、長距離を走る路線には蒸気機関車が走る時代である。そして、蒸気機関車は急勾配を登ることはできず、そのため当時の線路は海沿い、川沿いに敷かれる例が多かった。勿論のこと、長い距離のトンネルを掘る資本や技術もなかった。そのため、線路は入り込んだ海岸線や蛇行する川にそって右に左にカーブする形となった。

 

ところが、大正時代の効率の悪い線路では所要時間の短縮が困難であったため、図中の茶色で示された陸線が1986年(昭和六十一年)に完成し、特急・急行列車は陸線を走るようになった。この陸線の北側が直線になっているが、これは四国で最長、全長6012mの犬寄トンネルである。東海道新幹線の新丹那トンネルの長さが7959mであることを考えると結構な長さなのである。

 

さて、昼下がりに松山駅を出て、海線を経て伊予大洲駅で下車した。わけあって洋服を扱う店があるかと尋ねたら、ないという。駅前にはパン屋はあったが他の店は閉まっている。街は寂れ果てているのである。しかし、駅舎に隣接した観光案内所に入り、伊予大洲の案内ビデオを観て驚いた。大州には小早川隆景藤堂高虎が治めた歴史のある城があり、列車の車窓から望むことができる。(平成になって木造で再建された)

大州城

明治の時代にはロウソクの原料となる木蝋の集積地として栄えた時代があった。そして、この地方では木蝋の材料となるハゼの木の栽培が盛んであったのである。大州からは肱川を舟で伊予長浜まで運んでいたが、その後は「愛媛鉄道」に代わったのであろう。

 

また、肱川の岩場の上に建てられた「臥龍山荘」は、不老庵、知止庵、臥龍庵の庵が日本庭園の中に配されており、高台から肱川を望む景色は絶景である。

臥龍山荘 不老庵

松山駅発13時45分で伊予大州駅到着は15時44分とほぼ2時間の乗車であったが、ブルドーザなどの重機がない時代にシャベル、ツルハシとモッコで海岸の崖を削り線路を敷いた先人の苦労を偲びながら、瀬戸内海に浮かぶ島々を眺め、時々現れる海沿いの集落や工場を過ぎて行くのは乗り鉄の醍醐味であった。

 

折り返しで伊予大州駅を発車したのは16時21分。伊予大州の滞在時間は僅か40分に満たないので、ここは再訪の価値があると判断し、また来てみようと決意したのである。なお、城と臥龍庵の写真はパンフレットを撮影加工したものである。

 

夕日の景色で有名な下灘駅に到着したのは17時07分で、当日の日没時刻は19時11分である。そして夕景撮影のゴールデンタイムは日没前後15分づつと言われている。なんで、そんなに早く行くのかというと、到着した17時07分の次は19時38分で列車がないのである。

JR下灘駅 発車時刻表

そして、下灘駅は列車がすれ違い出来ないいわゆる1面1線の構造なのであるが、昭和までは島式のホームを持つ1面2線だったのが、駅舎側の線路が埋められて今の構造になっている。このことは、たまたま駅舎内に飾られていた「男はつらいよ寅次郎と殿様(フーテンの寅さん)」の撮影風景写真で発見し、後になってネットで再確認したのである。

灘駅駅舎にあった「男はつらいよ」撮影現場写真

夕景の写真を観ると、駅で撮影している人の数は少ないように見えるが数えてみたら70人以上居た。どうやった数えたかというと帰りの松山駅行きは単行(1両運転)なので乗客数を数えることが出来たのである。

 

ということで、駅の写真などをお楽しみください。

海に一番近い駅 下灘駅ホーム

実際は、線路の海側の下に国道378号線が走っていて、海に近いわけではなくなった。

灘駅と夕日

薄暮の下灘駅ホーロー駅票看板

なお、このホーロー看板は有志が寄贈したもので、ノスタルジック感を出している。そして良くみると国道374号線が写っているので、海に近いわけではないことが露呈している。

さて、前述したように19時38分下灘駅普通列車松山駅行が松山駅に到着したのは20時36分、そこから路面電車に乗って予約した夕食の店に着いたのは21時であった。